街道歩きできるかな

50代、体力が衰える前に五街道歩きにチャレンジ

東海道⑪由比宿~興津宿~江尻宿

2024年3月2日(土)

9:56

戻ってまいりました由比駅です。今回は春の青春18きっぷと新幹線の合わせ技で到着しました。由比駅上バス停から東海道歩きを再開します。

 

 

 

10:01

寺尾澤橋を渡ります。平成六年なんてつい最近じゃないの、と思ってしまいますが、そんなことはないのですよね。

 

続いて、中の沢二号橋を渡ります。

駿河湾がきれいです。

 

10:05

名主の館小池邸。

 

お座敷にひな祭りの菱餅とぼんぼりのようなものと一緒に、立派なお人形が飾られていました。どなたのお人形なのか、案内してくださった奥様にお聞きすればよかったです(後悔)。お座敷と土間を挟んで反対側に休憩所があり、そこからきれいなお庭が見渡せます。休憩所に駿州クエストのスタンプがありましたので由比宿のスタンプを押しました。

 

お庭には水琴窟があり、奥様が水を流して音を聞かせてくださいました。高く響く澄んだ音色を聞くことができます。

 

 

10:15

小池邸の少し先の反対側に「あかりの博物館」があります。ちょうど開館時間だったらしく、営業中の札が出されるところでしたが、時間節約のため入りませんでした。江戸から大正時代までの提灯や行灯などが展示されているそうですので、ご興味のある方はぜひ。利用料大人500円です。

 

10:19

いよいよ本日のメイン、薩埵(さった)峠の道標が出てきましたよ~。

坂を上って少し行くと道が平らになりその後下りになります。その一番てっぺんのところに無料の休憩所があり、おば様達が集まっておしゃべりをしていました。眼下にバイパスと高速道路があり、その先に駿河湾が見渡せる良い場所です。楽しそうでした。

 

10:25

八坂神社と中峯神社。八坂神社は、写真ではわかりずらいかもしれませんが、階段がとても急でした。中峯神社は、天狗となり倉沢の火防守護神となった村人の藤八さんを藤八権現として祭っているそうです。

 

藤八権現に由来する権現橋を渡ります。

 

10:29

鞍佐里神社。日本武尊が東征の際、賊の焼き討ちに逢い、野火で鞍を焼失したことに由来します。鞍去(くらさる)が地名の倉沢に転訛したともいわれているそうです。

 

宝積寺。曹洞宗のお寺です。

 

10:31

間の宿本陣跡、川島家。

 

倉澤橋を渡ります。

間の宿脇本陣跡、柏屋。明治天皇御小休所跡。

 

 

10:34

望嶽亭藤屋。富士の眺望が良いことから望嶽亭と称したそうです。官軍に追われた山岡鉄舟をかくまい脱出させました。その際ピストルを残していったと言われています。個人宅のため見学には事前連絡が必要です。

 

西倉沢の一里塚跡。日本橋から四十里(3.93km×40=157.2km)です。いよいよ薩埵峠に入りま~す。

 

少し登った所で振り返って撮影しました。このときは富士山がぎりぎり顔を出してくれていましたが、今日はこの後、雲に隠れて見えなくなってしまいました。

駿河湾の方を見たところ。

 

10:44

海の先右側に見えるのは、だぶん三保の松原がある三保半島です。

道はミカン畑の間を通っており、収穫をされているところもありました。

 

 

10:53

薩埵地蔵道道標。大きい方には「さったぢぞう」、小さい方には「さったぢぞうミち これより四丁」と刻まれています。

 

薩埵山合戦場跡。ここでは二度の戦いがあったそうです。(1)足利尊氏vs弟の直義(2)武田信玄vs今川・北条です。

 

10:58

薩埵峠駐車場。8台くらい停められます。水場とトイレがあります。この時は満車に近い状態でした。薩埵峠山之神遺跡碑と幸田文文学碑があります。

 

残念ながら富士山は雲に隠れてしまいました。

そしてネットで調べて知ってはいたのですが、もう一つ残念なことが。展望台への道は通行止めになっていました。

 

さらにさらに、この貼り紙です!赤字で手書きされているところには「R6 1/9 10:30 親子熊目撃情報」とあります。1月に熊って、、、やはり温暖化の影響でしょうか。頼むから冬眠してて~。

 

11:09

トイレ休憩をして、仕方がないので迂回路を行きます。写真は駐車場を出た所です。右から来て駐車場へ入ったのですが、ここを左へ向かいます。

 

11:19

実はこの先で道を間違えてしまいました。下の図の由比側駐車場から青い線をぐるっと行かねばならないところを、途中で茶色の矢印の方に歩いて行ってしまったのです。(静岡市ホームページの案内図より)

間違えた道中の東勝院を過ぎたところに、このように木で作った昆虫が飾られている建物がありました、すごく上手です。さらに先には日本武尊の遺跡もありました。そのちょっと先までいって「おかしいな?」とgoogleマップで現在地を見ると、全然違うところを歩いていることに気づきました。

 

11:31

間違えた所まで戻ってきました。写真の左側から降りてきて左(写真では右)に曲がらねばならないところを真っすぐ(写真では手前)進んでしまったのです。

そしてこの後も少し迷いました。高速道路を越えたところで下の写真のように山に入っていく道と、高速道路に沿って写真では手前につながる道があるのですが、山への道はてっきり反対側の通行止めだと思ってしまい、高速道路沿いの道を歩き出してしまったのです。でもgoogleマップでは予想と違う方に行くことになるので「どうなっているの?」とガイドブックと市ホームページの迂回路図を何度も見返していたのですが、Mちゃんがガイドブックに「東屋」が書いてあることに気いたのです。それが迂回路図の「あずまや」ならその手前に午房坂があるはず!ってことは、山に入っていく道が午房坂かも&そういえば通行止めとは書いていない、ってことで、この写真の道を入っていくことにしました。進んでいくと、急な登りになり、人気がなく道も荒れていたのでMちゃんが「きっと違うよー」と、でもひとまず登ってみることにしました。

こんな道です(1枚目は上ってから振り返って撮影)

 

登りきると視界が開けたところに東屋があり、5、6人の方が休憩されていました。やはり登ってきた坂が午房坂でした。下の写真、左標識「薩埵峠駐車場」の方向にある東屋のところに通行止めの標識もありました。

 

↓ここから出てきました。そりゃ不安になるのわかるでしょう?坂下の入口に「迂回路こっち」の標識が欲しかったです。

ここで迂回は終了なので、ここからは舗装路でも木の階段でもない、見晴らしの良い本来の峠道を進みます。

 

11:48

薩埵峠に到着しました!反対側から登ってきたご高齢の方々がたくさんいらっしゃいました(私達もいい歳だけどw)。通行止め中の展望台からの眺めとはいかないまでも、お天気も良くとっても素敵な見晴らしでした。

 

 

 

11:54

峠を下りてきたところ。

 

往還坂を下って行きます。残念ながら「往還坂」の標石を見逃してしまいました。道の左側にあったようです。

坂の途中と下りきったところに地名の由来がありました。

 

坂を下りきると興津川までぐるっと道がまわりこみます。出発前にガイドブックの地図を見ていて、なんで真っすぐ行かないのだろうと不思議でした。何か施設でもあったのかねぇとMちゃんと話していたのですが、実際見てみるとそこにはビニールハウスが斜面にいくつか建っているだけでした。地形的に高かったため迂回したのかなあと思いました。

 

12:03

秋葉山常夜燈(1819年建立)。

 

12:09

瑞泉寺寺標。

 

12:17

牛頭観世音菩薩。

 

12:18

川越遺跡(興津東町公園)。興津川は「徒歩渡し」で、水深が四尺五寸(1.5m)を越すと「川止め」となったそうです。

 

 

12:23

私達は浦安橋で興津川を渡ります。「ちゃんと歩ける~」には興津川橋と書いてあります、なんでだろう。

 

12:28

供養塔。橋を渡ると石段を下りてまわりこみます。今回は道がややこしいです。

 

12:40

宗像神社。女体の森ってなんだか怪しげですが、海上交通の守護神「興津島姫」を祀っているそうです。社叢(神社の森のこと)が船乗りの目印だったそうです。

そろそろお腹がすいてきました。神社の反対側にたい焼き屋さんがあり人が並んでいました。食後だったら買いたいところですが、お昼もまだなのでスルーしました。後で調べたところ「伏見のたい焼き店(興津のたいやき屋)」という昭和36年創業のお店でした。きっと美味しいのでしょう。


12:43

身延山道道標。甲斐と駿河を結ぶ要路で日蓮宗総本山久遠寺への参道の起点です。

 

12:55

興津の一里塚跡。日本橋から四十一里(3.93km×41=161.13km)です。

 

12:57

興津駅前交差点。興津宿のチェックポイントです。この交差点の少し先にとんかつ屋さんがあり、時間も時間だし入ろうかどうしようかすごく迷ったのですが、お客さんの出入りはあるものの外にメニューなど無く、どんな感じかよくわからなかったので見送りました。

 

13:00

理源寺。日蓮宗のお寺で七面山信仰と由縁があるそうです。

 

13:03

興津宿公園。

 

興津宿の案内板がありました。

 

13:11

宮様まんぢう本舗「潮屋」さん。1897年創業の献上銘菓「宮様まんぢう」の老舗です。一口サイズの酒饅頭です。さすがにお腹がすいたので購入しようとしたのですが、バラ売りはしてらっしゃらなくて10個からということでした。宮様まんぢうを揚げた揚げ饅頭なら4個で205円ということでしたので、そちらを購入してMちゃんと2個づつ食べました。ちょうどカリントウ饅頭のような味わいで美味しかったです。

 

 

13:14

興津宿東本陣跡。実は、潮屋さんより手前にあったのですが、お饅頭に気がいってしまい見逃してしまいました。揚げ饅頭を食べてから気づき、あわてて戻って撮影しました。空腹は集中力を切らしますねw。

 

13:15

脇本陣水口屋跡。江戸時代は脇本陣、明治以降は旅館として繁盛したそうです。一角に水口屋ギャラリーがあり、資料が公開されています。

西本陣跡。普通の個人宅のブロックの先にあります。標石を残していただいてありがたいです。

 

13:22

清見寺。臨済宗妙心寺派のお寺です。多くの文化財があります。また、山門と総門の間を東海道本線が横切るという珍しい風景を見ることができます。

 

臥龍梅(写真の向かって右)。竹千代(家康)が接木したと言われています。

咸臨丸記念碑。明治政府軍に敗北した乗組員達を供養するため清水次郎長と榎本武揚が建立しました。(もの(HP等)によって「清水次郎長」だけや「榎本武揚」だけが書かれているものもありました。)

駿州クエストのスタンプがありましたので、興津宿のスタンプを押しました。

 

13:35

高山樗牛假寓之處(たかやまちょぎゅうかぐうのしょ)。文豪の樗牛は労咳を患い、清見寺門前の三清館に滞在し静養しました。

 

 

13:37

坐漁荘。西園寺公望の晩年の別荘です。「坐漁荘」という名前は、太公望呂尚が「茅に坐して漁した」という故事にちなむものだそうです。現在のものは2004年に復元され、無料で一般公開されています。ネットで「坐漁荘」と検索すると伊豆のリゾート温泉旅館が上位にきてしまうので、検索する時は「興津坐漁荘(記念館)」とした方がよいです。

 

13:51

延命地蔵堂と常夜燈。地元の方らしき女性が三人、ちょうどお堂から出てくるところでした。何かの集まりがあったのでしょうか。

 

 

13:55

念仏供養塔。写真ではよくわかりませんが、ガイドブックによると「念佛十二億萬遍供養」と刻まれているそうです。「袖師ふるさとの道 22」というのは、後で調べたところ、1997年(平成9年)に袖師地区まちづくり推進事業として、地元の史跡41ヶ所を冊子で紹介したものだそうです。

東光寺(1532~54年創建)。臨済宗妙心寺派のお寺です。この門は、かつて興津川が増水し川止めとなった時に、勅使が急遽このお寺に宿泊することになったため急いで作られた門だそうです。

 

14:02

カレー「そわか」さん。さてさて、いい加減飲食店を見つけなければ、というところに、道路の左側のこの看板が目に飛び込んできました。どうする?どうする?としばし相談した結果、この先に飲食店があるとは限らない、ということで入ってみることにしました。

中を覗いてみると、カウンターに座った男性がうたた寝をされていました。扉を開けると「食事?」と聞かれ、どうやらランチは14時までだったようで、数分過ぎていたのですが「いいよ、いいよ」と言っていただけました。マスターの趣味の車の写真がたくさん飾られているお店です。

私は黒ゴマカレーとアイスコーヒーのセットを、Mちゃんは壁に貼ってあったメニューの石焼チーズカレーを注文しました。待っている間に常連の男性が一人いらっしゃってコーヒーを注文されました。その方も含めて東海道歩きのおしゃべりをしました。その方によるとこの先で名物のとろろ汁を食べるならここ、というお店があるようです。名前はわかりませんでしたが、参考にさせていただきます。

黒ゴマカレーは結構スパイスが効いていて辛いですが、甘みも口の中に残る感じで深い味わいでした。美味しかったです。ごちそうさまでした。ランチ時間過ぎていたのに対応してくれてありがとうございました。食べログではお店の名前はカタカナで「ソワカ」さんになっています。

 

15:08

名残りの松。

 

15:10

延命地蔵尊。

 

15:21

松原観音堂・津島神社。写真に写っていませんが、向かって右手前に津島神社があります。奥が観音堂です。

 

15:23

細井の松原跡・無縁さんの碑。二百六本の松原だったそうです、松根油採取のために伐採した際に多量の人骨が出土したため碑を建てて霊をなぐさめたということです。

 

 

15:40

秋葉道入口(かな?)。ガイドブックによるとこのあたりなのですが、標識など見つけられませんでした。過去に歩いた方のブログを見ると、説明書きがあったようなのですが、無くしてしまったのでしょうか。

 

15:51

辻の一里塚跡(たぶんこの辺)。日本橋から四十二里(3.93km×42=165.06km)です。こちらもガイドブックの該当する場所にそれらしき標識がありませんでした。過去に歩いた方のブログによると2枚目の写真の「交差点あり~」の看板のそばに立っていたようなのですが、この辺り(江尻宿手前)は東海道の史跡標識の保存をあきらめてしまったのでしょうか。

 

 

15:55

東木戸跡(地図によるとここ)。江尻宿の江戸(東)口です。こちらも標識があるはずなのですが、ありませんでした。江尻宿に入ります。

もしかして全く見当違いのところを歩いている?と疑いもしましたが、足元にこの表示がありましたので、東海道であるのは確かです。

 

15:59

江尻東交差点。江尻宿のチェックポイントです。本日の東海道歩きはここで終了です。交差点を左に入ると清水駅があります。

 

16:05

今回は駅前に商店街がありましたので、清水駅前商店街の「Pop Clover 村越くだもの店」さんで一息つきました。私はマンゴージュースを、Mちゃんはホットコーヒーを注文しました。東海道歩きで久々のお茶タイムでした。

 

改札前で「ようかんパン」を1つ購入し、16:41の清水駅発で帰宅しました。次回、青春18きっぷの期限4月10日までに歩けるといいのですが。