街道歩きできるかな

50代、体力が衰える前に五街道歩きにチャレンジ

東海道⑨原宿~吉原宿

2024年1月6日(土)

10:10

あけましておめでとうございます。使用期限1月10日までの冬の青春18きっぷを使うべく、年明け早々原駅に戻ってまいりました。2024年最初の東海道歩きを開始します!下の写真は本日原駅からの富士山です。

 

10:17

西町踏切。本来なら駅から北に歩き原駅入口の信号を左に歩きだすのが東海道なのですが、Mちゃんが千本松原を見たい(私も賛成!)ということで、駅から線路に沿って少し東に戻ったところの西町踏切を渡って海岸の方に向かいました。

千本松原とは「狩野川河口から田子の浦にかけて広がり、松の常緑と白雪をいただいた富士山、そして駿河湾の彼方に沈む夕陽といった美しい自然で知られ、白砂青松100選にも選ばれた景勝地です」(沼津観光ポータルより略)。原西町の信号で千本街道を渡った先には松林が広がり遊歩道が整備されていました。

松林を抜けて高い堤防の上に出ました。東を向いた所。

富士山の方向(北)を向いた所。

海岸方向(南西)を向いた所。

しばらく堤防を進んで堤防の上からの松林と海岸線を楽しみ、次に下に降りられるところで松林に下りて、東海道方面に戻ることにしました。

 

10:40

六軒町踏切を渡って東海道に出ました。それでは、東海道を歩いていきましょう。

 

 

10:45

原宿西木戸跡。残念ながら標識などは無く、ガイドブックによると「道路の幅員が広がったいるあたり」ということでした。原宿の京(西)口です。ここで原宿を出ることになります。

 

10:52

原の一里塚跡。日本橋から三十二里(3.93km×32=125.76km)です。

今日も富士山がきれいです。

 

11:03

浅間神社(1650年創建)。三社宮とも呼ばれ、一本松新田の鎮守です。

 

11:08

大通寺。曹洞宗のお寺で、幕末に寺子屋が開かれたそうです。

 

11:13

浅間愛鷹神社(1745年創建)。助兵衛新田の鎮守です。境内にこの地を開発した鈴木助兵衛顕彰碑があります。この辺りは、1615年遠州より移住した鈴木助兵衛さんが新田を開発して「助兵衛新田」と称したそうですが、助兵衛では聞こえが悪いため、1908年に「桃里」に改称されたということです。当時このあたりでは桃をよく作っていたそうです。

 

 

11:27

植田踏切を渡ります。渡った先を左側に少し行くと、この辺りの新田開発をしようとして失敗したという植田三十郎さんのお墓があるのですが行きませんでした。跡を継いだ六郎左衛門さんが新田開発を完成させたのですが、先人に敬意を払い「植田新田」と命名したということです。優しいですね。

 

 

11:30

八幡神社。植田新田の鎮守です。

 

11:32

富士市に入ります。

 

11:37

東柏原交差点。富士市にはこのような標識が立っているようです。交差点にラーメンショップがあり、早くもお客さんが並んでいました。きっと美味しいラーメンショップなのでしょう。並んでいる時間はないので残念ですが先に進みます。

 

 

11:42

六王神社。龍の生贄になった「おあじ」さんを悲しんで、身を投げた6人の巫女を祀っているということです。お参りさせていただきました。

 

 

11:48

東田子の浦駅。東海道から見た富士山とステンドグラスの窓がある駅舎が可愛いかったので撮ってみました。


11:53

間宿柏原本陣跡。「間宿(あいのしゅく)」は宿場と宿場の距離が離れているところに設けられ、原則として宿泊は禁じられていたそうです。ここも茶屋が軒を連ねる茶屋本陣で、浮島沼の鰻が名物だったということです。

 

 

11:55

立圓寺。境内に望嶽碑があります。尾張藩の典医であった柴田景浩が、この地から望む富士山の美しさに感銘を受け、この碑を建立したそうです。今も絶景の場所があるのかなと思い、本殿の裏に回ってみたのですがわかりませんでした。

 

望嶽碑の隣には1979年に台風20号によって柏原海岸に打ち上げられたゲラテック号の慰霊碑もありました。

 

12:02

広沼橋を渡ります。橋からの富士山です。

 

橋を渡った先に、増田平四郎像があります。水害から村を救うため浮島沼の干拓に生涯を捧げ水干(スイホシ)と呼ばれる排水路の土木工事を行った方です。

 

 

12:10

沼田新田の一里塚跡。日本橋から三十三里(3.93km×33=129.69km)です。この碑を捜すのに少し苦労しました。草木の間にあったのと近くに車が停まっていたせいか気付かずに一度通りすぎてしまったのです。Googleマップで見つけることができました。

 

12:15

米之宮神社と淡嶋神社。

愛鷹神社。

 

12:25

檜の信号で左に入ります。わかりやすいように標識がありました。助かります。

左に入ってすぐに(元)吉原宿跡の標識がありました。吉原宿は高潮の被害で何度か場所を移動したそうです。

 

12:35

再び東海道を少し外れて、田子の浦に出てみました。山辺赤人の歌「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 不尽の高嶺に 雪は降りける」で有名な場所です。松林を抜けて堤防の上に出ました。千本松原で海岸へ出た時より風が強くなっていました。

 

さすがにお腹がすきだして、少し前から食べられるところを探していたのですが見つからず、東海道に戻ったところで行動食(私はチョコとグミ)を立ち食いしました。食べたら元気が出ました。登山と同じで街道歩きでも行動食は大切です。

 

12:50

高橋勇吉顕彰碑。排水用の掘割を完成させ水田を水害から守りました。

 

 

13:00

妙法寺。日蓮宗の寺院で毘沙門天を本尊とされており、毘沙門天大祭のだるま市は「日本三大だるま市」の一つということです。空腹の身には本堂まで遠かったのでお参りしませんでした(ちょっと後悔)。

 

 

13:10

道路を右に曲がって鈴川踏切で東海道線を横断します。曲がり角には親切に標識がありました。次のチェックポイントは名勝左富士です。

 

この右に曲がる少し手前に、富士宮焼きそばが食べられるお店があったのですが、できるまで30分以上かかると言われてしまったので断念しました(涙)。富士宮焼きそば食べたかったなぁ。

 

13:17

吉原駅北口交差点を通過して、河合橋で沼川を渡ります。

 

 

13:20

工場地帯に入っていくと、名残りの松があります。

 

 

13:27

富士由比バイパスの下をくぐり依田橋を和田川に沿って北に向かいます。

この辺りで二人ともお手洗いに行きたくなってしまい、WASH&FOLD富士店さんでお借りしました。ありがとうございました。おしゃれなコインランドリーで、2階にカフェもあったようですが、現在は営業されていませんでした。

 

13:40

左富士神社。1796年創建でかつては「悪王子神社」と呼ばれていました。

 

こちらの敷地内に依田橋の一里塚があったようなのですが、写真を撮り忘れてしまいました。日本橋から三十四里(3.93km×34=133.62km)です。

 

13:45

名勝左富士。左富士神社の先の交差点を渡った先に名勝左富士があります。現在は工場などが立ち並び、残念ながら左富士を全景としてとらえることはできません。東海道上の左富士はここ(吉原)と、このブログ上では東海道⑤で歩いた南湖の左富士です。南湖の左富士は今でもよく見えましたね。

 

こちらが、上の説明書きにある「往時をしのばせる一本の老木」です。

なんとかもっとよい左富士が撮れないかと頑張ったのですが、ここより先に行ってしまうと富士山はまた右側になってしまいます。

 

13:50

馬頭観音。振り返って撮りました。右側のこんもりした歩道上の草木の間に見える祠がそうです。頑張って維持されている感じが印象的でした。

 

13:52

平家越橋と平家越え碑。1180年源平が富士川を挟んで対峙した際、水鳥の羽音を襲撃と勘違いした平家軍が混乱に陥り戦わずに敗走したという場所です。

 

 

碑の隣に古そうな道標がありました。

 

14:05

東木戸跡。吉原宿の江戸(東)口です。吉原宿に入ります。

 

 

14:10

吉原本町駅。ガイドブックではここが吉原宿の起点です。線路そばの東京電力のビルの一角に「見よう歩こう富士市の東海道」の掲示板があり、そこに吉原宿の変遷が説明されていました。

 

 

14:25

戸隠そば吉原さんでお昼。アーケード街に入ったので飲食店がたくさんあるかなぁと期待したのですが、開いているお店は少なく、やっと見つけたこちらのお蕎麦屋さんでかなり遅い昼食となりました。私はサラダおろしそば、Mちゃんはもりそばとイカ天を注文しました。サラダうどんは何度も食べていますが、そばは初めてです。すごく美味しかったです。営業していてくれてありがとうございます。とても助かりました。

 

このアーケード街には本陣や脇本陣があったのですが、現在はいろいろなお店になってしまっています。写真は撮ったのですが、割愛します。

 

14:52

明治天皇御小休所碑。旅籠高砂館跡。

 

15:00

旅籠鯛屋興三郎、1682年創業。山岡鉄舟や清水次郎長の定宿だったそうです。現在は鯛屋旅館・本手打ち鯛屋として旅館と手打ちそば・うどんのお店をされています。

先の交差点を左に曲がります。道標があります。

妙法寺題目碑を右に曲がります。後ろにある肝心の碑を撮るの忘れました(涙)。

 

15:07

西木戸跡。吉原宿の京(西)口です。吉原宿を出ます。

 

 

15:12

旧東海道跡碑。本来の東海道は錦町北と錦町の信号の間を斜めに横切る感じの直線だったようです。

 

 

15:20

青嶋八幡神社。行きませんでしたが、この細い道を入って行った左側にあります。1681年に行われた検地は、高潮の被害にあって疲弊していた領民の実情を無視したもので、それに反対した名主の川口市郎兵衛さんが鈴ヶ森で磔刑にされてしまいました。村民が八幡神社に密かに合祀し「磔八幡」と呼ばれるようになりました。googleマップでも縮尺を変えると「青嶋八幡神社」の名とともに「磔八幡」の文字も見えます。

この先、高島の五差路を斜め右に入り396号線を進みます。少しわかりにくいですが、「工具・金物・作業用品HODAKA」さんの前の道を潤井川に向かって歩く感じです。

 

15:25

396号線から右に入ります。標識があります。

少し先を左に曲がります。カーブミラーの横に標識があります。

 

15:27

富安橋を渡ります。江戸と京阪を月に3度往復した「三度飛脚」の問屋が、大金を出して架橋したことから、かつては「三度橋」とよばれていたそうです。明治10年に名前が変わりました。

 

15:32

川原宿の単体道祖神(袂の塞神)。普通の住宅の塀の一部がへこんでいて、そこにいらっしゃいました。いつ造られたものか調べたのですが、わかりませんでした。

 

富士市のマンホールの蓋は富士山です。

 

15:40

間宿本市場碑。白酒、葱雑炊、肥後ずいきなどで知られたそうです。

鶴芝の碑。1820年建碑。蘆州が描いた鶴と亀田鵬斎の詩文が刻まれています。一般のお宅の玄関脇にあり、お家の方が出入りする時目があってしまいました。

 

15:53

本市場の一里塚跡。日本橋から三十五里(3.93km×35=137.55km)です。

 

 

15:58

北の路地をみたら富士山がきれいだったので撮りました。突き当りに見える建物は富士市立の柔剣道場です。

 

16:00

道祖神。ふじいち平垣店の角にあります。今回の東海道歩きはここまでとします。いつもより終了時間が遅くなりました。喫茶店で一息つきたいなぁ。

 

16:10

富士駅。駅までの道にお茶できるところを捜したのですが、見つかりませんでした。前回に引き続き敗北です(涙)。16:14富士駅発の電車で帰宅しました。次回からはさすがに新幹線を使わないとキツイかなぁ。

前回と今回の東海道歩きで、神社とお寺が隣同士に建てられているところがいくつかあったのですが、帰って調べてみると、やはり神仏習合の名残りなのですね。