街道歩きできるかな

50代、体力が衰える前に五街道歩きにチャレンジ

東海道⑧三島宿~沼津宿~原宿

2023年12月29日(金)

10:35

先月箱根の峠越えができたので、年内はもう終了でもよいかと思ったのですが、Mちゃん情報で「冬の青春18きっぷを使うと2回安く行けるのでは」ということで、今回が2023年最後の東海道歩きとなりました。ちなみに2023年冬の青春18きっぷは、販売が2023年12月1日~31日、利用期間が2023年12月10日~2024年1月10日でした。1枚で5回利用可能です。何十年ぶりかに使用しました。若いころに使用した18きっぷは5枚つづりで分離可能でしたが、今は1枚の切符に日付スタンプを押してもらう形式なのですね。転売防止でしょうか。行きの電車でMちゃんがストックを網棚に忘れるというアクシデントがあり少し遅れましたが、三島の本陣跡から無事再スタートです。

 

 

10:40

時の鐘。三石神社の境内にあり、宿内に明け六つ暮れ六つに時を知らせた鐘です。第二次世界大戦では供出され、現在の鐘は1950年に有志によって造られたものだそうです。

 

鐘は源平白旗橋を渡ったところにあるのですが、渡ったところが人でいっぱいでびっくりしました。うなぎの桜屋さんというのが人気のお店らしくその行列でした。

 

10:52

西見附。秋葉神社の前にあります。三島宿の京(西)口です。ここで三島宿を出ることになります。

 

 

10:54

千貫樋。今川、武田、北条が和睦し、北条が今川に送水する樋を築いたということです。その費用が銭千貫だった他諸説あるようです。

 

 

10:57

常夜燈。1846年建立。

 

11:06

宝池寺の一里塚。玉井寺の一里塚。両塚を総称して「伏見の一里塚」というそうです。日本橋から二十九里(3.93km×29=113.9km)です。これまで一里4kmで計算してきましたが、ここまでくるとかなり誤差がでてきたので、より正確に3.93kmで計算しようと思います。

 

 

11:22

八幡神社。入口右側に開運鳥居があり「通常触れることができない鳥居上部を撫でて大神様のご加護を受けてください」とありますので撫でさせていただきました。

 

境内の奥には対面石があります。源頼朝の挙兵を知った義経が馳せ参じ、この石に座って対面したということです。

 

 

11:35

松並木。八幡神社の先に松並木があります。

松並木の先に智方神社があります。護良親王(もりよししんのう・もりながしんのう)の首級を従者が京へ持ち帰る際、黄瀬川の洪水にあってやむなくここに葬ったそうです。

 

黄瀬川を渡ります。富士山が美しいです。

 

 

11:45

潮音寺。本尊は亀鶴観世音菩薩です。

 

潮音寺の先に沼津藩傍示碑があります「従是西沼津領」。この先東見附がなかったのでここが沼津宿の江戸側(東側)の入口ということでよいのかな?

 

12:00

富士隠れ坂。江戸方面からは急な掘割の上り坂だったということですが、現在はただ西友の反対側の歩道です。

 

 

12:10

平作地蔵。日本三大仇討ちの一つだそうです。赤穂浪士と曽我兄弟は知ってましたが、伊賀越道中双六というのは知りませんでした。

 

 

12:15

沼津の一里塚。日本橋から三十里(3.93km×30=117.9km)です。公園内に縮小復元されています。宿内の設置を避けたため実際よりは里程が短くなっているそうです。

 

同じ公園内に、古墳時代に勾玉を研磨した玉砥石があります。

 

 

12:26

川廓通りに入ります。

 

 

12:30

水神社。かつての三枚橋城(沼津城)の南端に鎮座しています。


12:32

川廓通りの出口(反対側)です。ガイドブック「ちゃんと歩ける~」ではここが沼津宿のチェックポイントになっています。

 

12:33

そろそろお昼です。川廓通りを出た対面に御食事処浜忠さんがあります。今回はこちらでお昼をいただくことにしました。入口を入るとまず食券を購入する方式です。私は唐揚げ定食に、選べるドリンク・デザート(200円)で杏仁豆腐をつけました。Mちゃんはサバの味噌煮定食です。おかみさんの接客の心地よいお店でした。ご馳走様でした。

 

13:15くらいにお店を出ました。

 

13:20

三枚橋城外堀石垣。ホテルの敷地内に復元されています。

 

13:25

ここから本陣跡の標識がいくつか続きます。

 

 

 

13:35

西見附跡。沼津宿の京(西)口。ここで沼津宿を出ます。

 

13:40

旧東海道とは関係ないのですが、気になった看板があったので、、シャッターが閉まっていたのですが「わすれ物の店」って何を扱っているのでしょう?

 

13:45

六代松道標。「是ヨリ南一町半」とあります。私たちは行かなかったので写真はありませんが、東海道から南に入り(左に曲がり)しばらく行くと六代松碑があるそうです。六代とは平維盛の息子で、鎌倉ヘ護送中、千本松原において処刑されようとしましたが、文覚(もんがく)上人の命乞いによって赦免となったのですが、その後、文覚上人の謀叛に連なり、処刑されました。従者が六代の首を携え、ゆかりの深い千本松原でその首を松の根元に埋め弔ったと伝えられています。この松を土地の人は「六代松」と称し親しまれてきましたが、松が枯死したので、天保12年(1841年)に松の傍らに記念碑が建てられた、ということです。

 

13:48

関門橋で新中川を渡ります。

 

13:58

沼津藩傍示杭石。沼津藩の西境に建てられたものだそうです。

 

 

14:20

栄昌寺。推定樹齢四百年のソテツがあります。とても迫力がありました。

 

 

14:25

松長の一里塚跡碑。日本橋から三十一里(3.93km×31=121.83km)です。横に、当時はこんな風だったのだよー、の絵が描かれています。

 

 

14:35

神明宮。前方後円墳の上にあります。古墳の発見の方が後だったようです。

 

 

14:45

祥雲寺。境内に大きな松があります。

 

 

14:47

三島神社。ご神木の緑マキは推定樹齢四百五十年で幹回りは約4mです。

 

 

15:05

原宿東木戸(見附)跡。原宿の江戸(東)口。かなり頑張って残してくれていますね。推定でも跡が残っているのはありがたいです。ここで原宿に入ります。

 

 

15:15

白隠禅師誕生地碑。「駿河には過ぎたるものが二つあり富士のお山と原の白隠」の白隠禅師です。

 

奥に白隠産湯井があります。

すぐそばの交差点の名前が、地図では「原交番東」なのですが「白隠誕生地前」になっていました。

 

15:22

問屋場跡。こちらも場所的にシュールな写真が撮れました。

 

問屋場跡のすぐ先に渡邉本陣跡です。

 

 

15:27

原駅入口。ガイドブックではここが原宿のチェックポイントです。今回の東海道歩きはここで終了としました。ちょうどよい喫茶店が見つからなかったので、残念ながら一息ついてからの帰宅はできませんでした。

原駅と原駅からの富士山。

 

15時37分原駅発の電車で帰宅しました。今回は青春18きっぷを使用しての東海道歩きでしたが、きっぷを有効活用するためには年明け1月10日までにもう一回使用しなければなりません。さて、期日中に決行できるでしょうか。